ネット麻雀が流行って幾年月、いろんな成績の判定がありました。
一番代表的だったのは東風荘に代表されるレートでしょうか。
いい成績が残れば基準レートより上に行く。ダメなら下に行く。
そして試合数が増えるごとにその振れ幅が少なくなってきて、安定してくる。
この結果を平均順位に正比例するように作られていました。
次にあったのがハンゲームのゲーム内通貨のやりとり。
これは細かいことはよく覚えてないですが、このゲーム内通貨はリアルマネーで買えるのですよね。
アバターのおまけが主だったと思うので、麻雀のルールを知らない人でもある意味いくらでも稼ぐことができました。
最終的にはインフレしすぎててまともに遊んでる人は到底上にいけなくなったようなおぼえがあります。
そしてそこを超えたあたりで生まれたのが天鳳。
インターネットはシステムや嗜好品から、インフラへとなる過程の中で爆発的に人口が増えていきました。
東風荘などはもう見た目も古かったですし、ハンゲームも迷走していたように思えます。
その点天鳳は見た目もキレイですし、なによりアカウント登録が不要でした。
ネット友達をMSNメッセンジャー(懐かしいな・・・)からちょっと誘えば、とりあえずすぐ打てるというアドバンテージはかなり強かったと思います。
そしてみなさんご存知天鳳の成績は、ラスに特化したポイント減少に特徴があります。
このルールがネットにおいて一般的となったことで、日本の麻雀は大きく変質した部分もあったと思います。
そしてそこに対抗馬として現れたのが雀魂。
美少女(+美男子)のアバターやキャラ付けにより、スマホとソシャゲ感ともマッチ。
でもってゲーム性自体は結局麻雀ですので、カジュアル感が高いところがユーザを集められた要因でしょう。
このラス回避ってゲームとして爽快感なくない?
そしてこの雀魂も天鳳と同じラス回避ルール。
これがどうなんよって話です。
ガチ勢が基本の天鳳に比べて、雀魂は前述の通りカジュアル勢も多く存在します。
特に簡体字やハングルのユーザ名も多く、これらの人はやりながら日本の麻雀のルールをおぼえていったことでしょう。
日本においても同様でMリーグの流行とともに、ルールがある程度最初からわかるソシャゲの延長としてのダウンロードが非常に多かったと感じています。
関係性として質の天鳳・量の雀魂のような様相になっている感じですね。
その量の雀魂として、前述のようにゲームとして楽しむ人が多く感じます。
いやそりゃ麻雀なんてはどこにいってもゲームなんですが、普通ゲームって不快に対して快感が大きくなるようにできています。
でもこの雀魂のポイント配分だと、途中からだんだんとラス1回とトップ1回+2着1回くらいで釣り合うようになってきます。
このあたりから、その『ゲームとして楽しむ人』を飽きさせて振り落としちゃう感じがします。
実際雀魂では雀聖以上の割合が1.08%となっているようですが、これは1%しか雀聖の実力に達していないということより昇段より降段のほうが目に見えて近くなることによりモチベーションの維持が難しくなることが原因ではないかなと思います。
ゲームだと同じランク同士であたったのであれば、10勝10敗で現状維持程度にならないと狩られる側の人がほとんどになってしまうのですよね。
天鳳がラス回避のポイント配分となっているのはよく回線切りを防止するためと言われますが、それは初期の初期での対戦であって段位があがればこのルールでは基本的に回線切りはむしろ好まれます。
だってラスだけはなりなくない中で、ラスを進んで引き受けてくれるのですから。
この天鳳のポイント配分は玄人がネットにおいて強い人を決めるのには好まれますが、逆にいうと玄人しか好まないのです。
天鳳は天鳳であり、唯一無二なのです。
なのでそれがどこでもベストだとは限りません。それがベストであれば巷のノーレートをはじめとした雀荘もそうなっていったことでしょう。
トップのチャンスをグッとこらえて2着よしが懸命な選択肢となり、ラスとなると気が狂いそうになる麻雀は、賽の河原で石をつまされている行為まんまだなあと思ってしまいます。
なのでネット対戦で一番流行っているから、という理由だけで天鳳を追随するのは麻雀というゲームにおいていろいろな歪みを引き起こしてしまうのではないかと。
トップをいっぱい取れる人に価値があるということをベースに考えないと、せっかく大きく広がった麻雀ユーザーが麻雀はゲームとして「苦しいもの」「この段位になったらゲームクリア」と感じさせてしまうのではないかなと思う次第です。