Togetterにまとめられた、こんな記事を見ました。
最近ショッピングモールで増殖しているカプセルトイ専門店が嫌いすぎる人の記事に様々な反応「ディストピアは言いすぎ」「今の日本の欲の薄弱さを象徴している」「虚無感感じる」
https://togetter.com/li/2732102
私も同じ感覚がずっと、うっすらとあったんですよね。
最近ショッピングモールに行くと、かなりの確率でガチャガチャの専門店があります。
昔からガチャガチャ自体はありましたし、別に嫌いなわけでもありません。
1回数百円くらいなら、ギャンブルだ射幸性だと目くじらを立てるほどでもない。
それなのに、ガチャガチャの機械が何十台、何百台と並んでいる空間を見ると、なんとなく嫌な感じがする。
なんでなんだろう、とずっと思っていました。
違和感の正体
最初は「人が販売していないからかな」と思いました。
普通の店なら店員がいて、棚があって、商品を選んで、レジで会計をする。
ガチャガチャにはそれがありません。
でもよく考えれば、人が販売したところで商品の中身は変わりません。
むしろ人件費がかかるぶん、値段が上がるだけです。
合理性だけで考えれば、機械だけ置いてあるほうが正しい。
でも、そこが嫌なのかなと。
昔パチンコをやっていた頃、「1万円払うから、この台の確率どおりのクジを1回だけ引かせてくれないかな」と思うことがありました。
何時間も玉を打って、演出を見て、当たるか外れるかを待つ。
結局やっていることが抽選なら、そこを全部すっ飛ばしてくれれば時間がかからないのに、と。
だったらパチンコに行くなよ、という話なんですが。
ガチャガチャの専門店は、ある意味ではそれを実現しているようにも見えます。
欲しいものがある。
でも選べない。
お金を入れる。
回す。
違うものが出る。
もう一回お金を入れる。
そこには接客もなければ、商品を比較する時間もない。
人間の手を介在させなくても成立する部分を、全部削っている。
「こうすると人間はお金を入れる」という仕組みだけを取り出して、機械に実装して並べている。
別に『何が出るかわからないから人間の脳が刺激される』という話をしたいわけではないです。
ガチャは必ず何かは出てくるし、私は射幸性そのものに別に嫌悪があるわけでもないので。
誰も騙されていないのに
もちろん、実際には誰も騙されていません。
値段は書いてある。
何が出るかも書いてある。
欲しくなければ回さなければいい。
客は自分の意思でお金を入れている。
取引としては、むしろものすごく明朗会計でシンプルですよね。
だからこそ、なのかもしれません。
普通の商売なら、人間の欲望をお金に換えるまでの過程が、「買い物」という一連の体験の中に包まれています。
商品を見て、比べて、迷って、選んで、会計をする。
でもガチャガチャの専門店では、その途中がかなり削られている。
こういう商品なら、これくらいの金額なら、繰り返しお金を払う人がいる
そして企業は、それをできるだけ低コストで売上に変える。
資本主義の仕組み自体は、スーパーでもコンビニでもAmazonでも同じです。
特にショッピングモールなんてその最たるもので、充実したラインナップのお店を揃えて、好きなものを好きなだけ買ってくださいと用意されている。
でも普段そこで「これこそが資本主義の姿だ」なんて大げさなことは考えません。
商品や接客や便利さに覆われていて、そんなことを意識しなくて済むからです。
ところがガチャガチャの専門店は、その中間部分を削りすぎた結果、欲望を金に換える装置だけが目の前に残っている。
しかも、それがショッピングモールという場所の中に何十台、何百台と並んでいる。
だからこそ、その存在が妙に奇異に映るのかもしれません。
別にガチャガチャが悪いとは思いませんし、なくなってほしいとも思いません。
むしろ商売としてはものすごく合理的だと思います。
数百円でこのクオリティが得られるんだ、と思うような商品も多いです。
それでも合理的に削れるものを削った結果「人はこういうものにならお金を入れる」という構造だけが、やけにむき出しになって見える。
たぶん私は、ガチャガチャ商売そのものが嫌いなのではなく、ショッピングモールという体験型の空間の中で、人間の欲望と商売の仕組みがあまりにもきれいに可視化されてしまうのが、少し嫌なんだなあと。


