いつの間にか『萌え』という言葉を使わなくなりました。
意味が通じなくなったわけではありません。
今でも萌えキャラと言えば何となく分かるし、昔のオタク文化を説明するときには普通に出てくる言葉です。
でも、自分で使うかと言われるとほとんど使わない。
少し考えてみると、これは単に流行語として古くなっただけではないのかもしれません。
昔のインターネットには、ネットの中でだけ自然に使える言葉がたくさんありました。
萌えを始めとして、俺の嫁、○○たん、キター、www、なんかですね。
今見るとかなり時代を感じるものもありますが、当時は2chでは当たり前に使われていた言葉でした。
当時のネットスラングなんかはほとんどが2ch由来であり、一サイトのコミュニティでありながら2ch=インターネット文化だったと思います。
ただ、思い返してみると、これらを現実の会話で同じように使っていたかというと、少し違うんですよね。
『萌え』は話し言葉だったのか
テレビなどでは、オタクが美少女キャラクターを見て「萌えー!」と叫ぶような描写がよくありました。
でも、実際にそんな使い方をしている人を私はほとんど見た記憶がありません。
オタク同士なら「このキャラ萌えるよね」くらいは言ったかもしれません。
それでも『萌え』はかなり書き言葉に近かった気がします。
掲示板に「○○萌え」と書く。個人サイトに「このキャラに萌えた」と書く。チャットやコメント欄で使う。
現実社会の日本語とは少し別の、ネット上の日本語として使っていた。
同じように『俺の嫁』も、ネット上なら特に違和感なく成立していました。
でも現実でキャラクターを指して俺の嫁と言えば、かなり意識してオタク語を使っている感じになります。
オタクである自分自身をネタとして揶揄するように『俺の嫁』と言う感じですね。
ネットにはネットの言葉があった
昔のインターネットは、今よりずっと現実社会と切り離されていました。
ネットの中に、ネットの中だけで成立する人格があった。
オンライン上にはさまざまな人がいましたが、その関係は基本的にネットの中で完結していて、現実で交わることは基本的になかった。
だから言葉も少し違っていた。
普通、言葉は現実の会話と文章の間を行き来します。
ところが当時のネットスラングには、読めるし意味も分かるけれど口では言わないという言葉が大量にあった。
ネット自体が一つの別世界だったから、そこで使うためだけの語彙が成立していたのかもしれません。
ある意味、通じないやつはこのコミュニティでの会話が通じない、という形で内輪ネタがコミュニティへの入館証となっていた感じでしょうか。
今のネットは現実の延長になった
今は状況がかなり違います。
SNSには現実の知人もいる。
企業も政治家も芸能人もいる。
以前はオフで会うというのは一大イベントでしたが、いまは政府がマッチングアプリを支援するレベルで、ネットで知り合った人と現実で会うこともごく普通になりました。
さらにYouTubeや配信が大きくなって、インターネット上でも実際に声で喋る機会が増えています。
ボイスチャット(通話アプリ)もごく一般的で、スマホがあれば以前のようにマイクなどの環境を準備するハードルもなくなり、わざわざ文字のみでコミュニケーションを取る必要も薄れてきています。
昔はネットに書く言葉と現実で喋る言葉がかなり別々だった。
今は、その境界がほとんどない。
そうなると、ネットの中でしか成立しない言葉は使いづらくなります。
『萌え』がいつの間にか使われなくなったのも、そういう変化と関係があるのかもしれません。
『推し』はネットの外に持ち出せる
その意味で『推し』という言葉は少し面白いです。
SNSにも書けるし、友達との会話でも使えますし、テレビでも広告でも成立する。
萌えと推しは意味が同じではありませんが、どちらも好きな人物やキャラクターについて語るときに使われる言葉です。
でも、推しは現実社会にそのまま持ち出せた。
萌えはネットの中にいるほうが自然だった。
だから萌えが廃れて推しが残ったのは、単なる新旧交代だけではないのかもしれません。
ネットと現実の距離そのものが変わった結果、今の環境に適応しやすい言葉と、そうでない言葉があった。
そんなふうにも見えます。
それでも「www」は残っている
もちろん、昔のネットスラングが全部消えたわけではありません。
たとえば『w』は今でも普通に見ます。
積極的に「wwwww」と大量に並べる人は昔より減りましたが、「それは草」のように形を変えながら残っています。
これも面白いところです。
『萌え』や『俺の嫁』は、その時代のオタク文化やネット上の人格と強く結びついていました。
でも『w』は単純に笑っているという情報を文字で表す記号でもあります。
元の文化が薄れても、便利な道具として使い続けることができる。
ネットスラングにも、文化と一緒に古くなるものと、機能として生き残るものがあるのでしょう。
『萌え』がなくなったというより
別に私はネットスラングの歴史に詳しいわけではありません。
ですが、ずっと2chを中心としたネット文化を人生そのものとして歩んでは来ています。
自分がネットを使ってきた感覚としては、昔は確かに『ネットでしか喋らない日本語』がありました。
そしていつの間にか、そういう言葉をあまり使わなくなっています。
逆に生きているものは『ありがとナス!』とか元ネタも知らずに平気でリアルで使う人がいる時代ですし。
そもそも、最初は「そういえば萌えって言わなくなったなあ」と思っただけでした。
でも考えているうちに『萌え』がなくなったというより、『萌え』と自然に書けるインターネットのほうがネット史においてほんの一瞬の出来事だったんじゃないか。
そんな気がしてきました。
インターネットが現実とは別の場所だった時代には、その場所だけの言葉があった。
今のネットは老若男女すべてのインフラそのものとなり、現実社会そのものとなりました。
その代わり、ネットだけで完結していた言葉も少しずつ消えていった。
『萌え』という一語は、その変化を振り返るには意外とちょうどいい言葉なのかもしれません。

