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20年後のティッシュ配り

雑記
雑記

私は若い頃、接客業でバイトをしていた。

特に夢があるわけでもなく、ただ就職しないだけのフリーターだった。
そのころは刹那的で、自分で死ねないから死なない。死なないならある程度の金がいるから稼ぐ。

それだけだった。

まだ酒も付き合いの場で飲む程度で、ギャンブルも日常的にはしていなかった。

今で言う親ガチャに大ハズレだったから、人生はうまくいかないし、この先もうまくいかないだろうという感覚は10代前半からあった。紛らわす方法もあまり知らず、いつもその気持ちと正対していた。

そのバイトには、毎日30分ほどティッシュ配りが組み込まれていた。
文字通り駅前に行って、ポケットティッシュを配るのだ。

ティッシュ配りは無心というか、気持ちを割り切れるというか、むしろ接客しなくて済む時間としてプラスに捉えていたまである。
当時はまあ今より真面目だったから、できる限り配ろうとしていたし、サボってクビになるのも嫌だった。

でも、これは底辺の仕事だと思っていた。

だからそれを底辺の私がやるのは当然だとも思っていた。

繁華街だったから、周りには居酒屋の客引きだったり、キャバ嬢や風俗嬢のスカウトだったり、日によっていろんな人がいた。
ティッシュ配りはたまに感謝されるのでまだマシなのかもしれないが、雑踏を歩く人からすれば鬱陶しいことには変わりない。

その中で、毎日いたのがコンタクト屋のビラ配りの人だった。

その人は真面目で、いつ見てもちゃんと営業文句を言いながらビラを配っていた。目立つ色のベンチコートを着ているから、遠目でもすぐ分かった。

土日になると日雇いらしい別の人たちと一緒に配っていたが、そういう人たちはまあやる気もなく、いかに一日外で突っ立っているかという部分との戦いだったように見えた。だから、その人の真面目さはいっそう際立っていた。
ビラ配りは常時屋外でやる仕事だから、顔が真っ黒だったのが印象に残っている。

そこから20年近く時は流れた。

私は死んでいないし、死のうとも思っていない。
あのときの自分に言っても信じられないくらい、まともな暮らしになった。

人から見ればどうかは分からないが、ずっと最低時給で生きていた人間が、ある程度の月給をもらえて、そのうえちゃんと労働基準法が守られている職場に勤めている。

それだけでも、当時の自分からすれば十分すぎる暮らしなのだ。

今の住まいは、先ほどの元バイト先から一駅隣にある。

そこにショッピングモールが建った。
最近の流行りなのかもしれないが、お高いマンションの一部としてくっついているタイプだ。

そこへ買い物に行ったとき、聞き覚えのある声がした。
何度も聞いた、定型的な売り文句だった。

声のするほうを見ると、当時と変わらない目立つ色のベンチコートを着た人がいた。
声は少しだけしゃがれていた。

あの人だった。

あの人は、私から見える範囲では、この20年で何も変わっていないように見えた。
夢を諦めたのかもしれないし、住んでいるところは変わったかもしれない。

それでも、私が鬱々と生きていた時代のまま、そこに立っていた。

あの人は、私の人生のもうひとつのルートだった。

他人の人生なんて何も分からない。
あの人は幸せなのかもしれないし、実は資産家なのかもしれない。病気などの事情があって、この仕事が自分に合っていると思って続けているのかもしれない。

ただ、あのティッシュを配っていた時期は、自分の人生の分岐点だった。
もし私があの時代のまま、今でも駅前でティッシュを配り続けていたら、私は幸せではなかったと思う。

その人は今もビラを配っている。
週末、たまにその姿を見かける。

見るたびに、あの頃から今までの20年と、そうならなかったもうひとつの20年を考える。

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