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AIは本を破壊しているのか、それとも救っているのか

AI雑記
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先日、『なぜAnthropicなどのAI企業は、古書を買い集めて裁断し、処分しているのか』という記事を読みました。

なぜAnthropicなどAI企業は、古書を買い集め裁断し処分しているのか | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
作家、アーキビスト(文書や記録資料の保存を担う専門職)、歴史家、そして愛書家たちが、大手テック企業やAI開発企業に対してネット上で総攻撃を展開している。きっかけは、これらの企業が稀覯本や古書を大量に買い集め、大規模言語モデルに読み込ませてい…

内容を要約すると、生成AIによる文章が大量に流通する以前の2022年以前に刊行された大量の本を購入し、背表紙を裁断して高速でスキャンし、そのデータをAIの学習に利用する。
そして役目を終えた紙の本は処分する。

字面だけ見るとなかなかすごい話です。

AI企業が古書を買い、裁断している

AIが人間の本を読み尽くして賢くなる、というだけなら昔のSFにもありそうですが、現実ではその過程で本そのものが物理的に消えています。
機械が本を食べて知識だけを吸収しているようで、ドラえもんのエピソードにありそうな光景でもあります。

これには当然批判があります。
記事には『紙の本を1000冊近く注文された稀覯本の販売業者』とあり、稀覯本業者から購入している以上、普通の本と一緒に希少・珍しい本が含まれている可能性が具体的に示されています

それを大量に裁断してしまっていいのか、というものです。

本当に守りたいのは「本」なのか「中身」なのか

ただ、そもそも本は、それほど完璧な保存媒体ではありません。

燃えるし濡れるし虫食いもあるし劣化もする。持ち主が亡くなれば、遺品整理で捨てられることもあります。
古書店でも、売れなければいつまでも保存されるとは限りません。

歴史を見ても、戦争や災害によって大量の本が失われることはごく当たり前でもあります。

焚書のように意図的に失われたものもあれば、東京大空襲のように街ごと失われたものもあります。
だから「紙の本として存在していること」そのものを、知識保存の絶対条件として考えるのは少し不思議でもあります。

物理的な一冊はなくなります。
しかし、その本に書かれていた情報は、むしろ以前より失われにくくなったとも言えます。

そこで出てくるのが『本とは紙で綴じられた物体なのか、それともそこに記録された内容なのか』という問題です。

将来価値が出る本を、今の人間は見抜けない

もちろん、古い本には物体としての価値もあります。
初版本、希少版、特殊な装丁、著者の書き込み、蔵書印などは、単なる本文データでは代替できない。

しかし問題は、「何が将来貴重になるのか」を現在の人間には完全には判断できないことです。

これは本に限りません。
昔、ポケモンカードや遊戯王カードを遊び倒していた私は、数十年後に初期カードが高額取引されるなんて考えてもいませんでした。
折ったり、名前を書いたり、捨てたりした人も大量にいます。

『ドラゴンボール』や『NARUTO』の初版本だって、世の中に溢れていた時代には普通の消費物でした。
初版というものに価値を見出していなければ、引っ越しのときに捨てたけどまた読みたくなったら買い直そう、それだけのものです。

しかし時間が経ち、残存数が減ると、昔ならただの商品だったものに希少価値が生まれます。

それを後世から「なぜこんな貴重なものを捨てたのか」と言われても困ります。
そんなことを言い始めたら、私たち自身も日々、未来の文化財を破壊している毎日です。

だから「将来貴重になる可能性があるものは全部保存しなければならない」という原則は成立しません。
未来の価値は未来にならないと分からないのです。

むしろAI企業に買われたことで救われた本もあるのではないか

AI企業が本を集める方法も、おそらく一冊一冊文化的価値を吟味して買うようなものではありません。

極端に言えば、「この古書店にある在庫をまとめてください」に近い世界だと思います。

文中には稀覯本への言及がありましたが、そもそも稀覯本業者だから買い付けたのかも怪しいものです。
稀覯本なら他で仕入れたものと被りにくい、という利点はあるでしょうが。

その中には、一般の読者にとってほとんど需要がなく、長期間売れ残っていた本も相当数あったでしょう。
今後誰にも買われず、倉庫で眠り続け、店主が亡くなった折にでも包括的に買い取られた末、最終的に廃棄される本もあったはずです。

その本がAI企業に購入され、全文をスキャンされた。
その後、紙の原本は処分された。

これを「文化破壊」とだけ見るべきなのでしょうか。
場合によっては「誰にも読まれず捨てられるはずだった一冊が、AIの知識の一部として吸収された」とも言えます。

少なくとも、「その本に書かれていたもの」が完全に消えるよりは、有意義な最後だったようにも思えます。

希少本が多少混ざっていたとしても、その本が合法的に市場へ出され、購入された以上、購入者だけに後世の文化財保護者としての責任を負わせるのは求めすぎではないでしょうか。
古書市場で合法的に売買されていた以上、少なくとも購入者に保存義務が課されていた本ではありません。

後から価値が判明したことを理由に、購入者へ未来予知まで要求するのは酷でしょう。

ただし、スキャンしたデータだけは捨てないでほしい

一方で、私が強く思うことが一点。

裁断した本のデータは、学習が終わったからといって捨てないでほしいのです。
それこそAIの力を使ってOCR後のテキストだけではなく、ページ画像そのもの、表紙、版情報、ISBN、ページ番号なども紐づけて残してほしい

なぜなら、そのデータ自体が人類の巨大な資産になる可能性があるからです。

世界中の古書は現在、あちこちに点在しています。
地方の古書店、個人宅、出版社の倉庫、大学図書館、海外の中古市場。

存在はしていても、一か所から検索することはできません。
それをAI企業が資本力を使って買い集め、片っ端からデジタル化しています。

これは考えようによっては、人類史上初めての規模で私設デジタル図書館を作っているようなものでもあります。
物理的な図書館と違い、書庫面積や紙そのものの劣化という制約からはかなり自由です。

そのデータは、AI学習以外にも使えます。

将来的にはAI自身が、「この回答の根拠は1978年刊のこの本の、このページです」と原資料を提示するためにも使えるかもしれません。

研究者が絶版本を横断検索できるかもしれません。
出版社が「もう原稿も版下も残っていない」と諦めていた本を復刻できるかもしれません。

古い漫画を例にあげると、『水木しげる漫画大全集』の編纂では、貸本時代の原稿がすでに失われていたため、残っていた印刷物から作品を復元する作業まで行われました。
それでも、あの書籍狂の京極夏彦ですら存在をしらなかった未収録作品が全集刊行後新たに見つかり、現在も全貌の分からない『鬼太郎』作品まで存在するそうです。

もし、そうした今では所在すら分からない本が、何十年も前に誰かによって高品質にスキャンされていたならどうでしょう。AI企業が大量に集めた古書のデータの中にも、将来同じように「ここに残っていたのか」と発見される資料が紛れているかもしれません。

現在の生成AIは、学習した知識がどの本のどこから来たのかを追跡するのが苦手です。
しかし元の書籍データが書誌情報付きで保存されていれば、将来のAIは生成と文献検索をもっと強く結びつけられるかもしれません。

そうなれば、古書をスキャンすることの意味もかなり変わります。

「本を食べた」のか「媒体を変えた」のか

結局、違いはここにある気がします。

買って、切って、AIに食わせて、捨てる。
これなら、本当に「AIが本を食べた」だけです。

しかし、買って、切って、AIに食わせる。紙は捨てても、中身は残すようにする。
これならば、単なる破壊ではありません。

紙という媒体から、デジタルという媒体への変換とも言えます。

もちろん、物理的な一冊としての歴史はそこで終わります。
ですが、その本が持っていた情報は、以前より多くの人間に届く可能性を持ちます。

未来に希少本になるはずだった一冊が失われることもあるでしょう。
しかしその代わりに、その内容が普遍的な知識の一部として残るのなら、それも一つの本の生き残り方なのではないかと思います。

本がなくなることへの反感は、たぶん理屈だけではない

それでも、大量の古書が裁断されて捨てられる光景には、私自身少し抵抗があります。
これはたぶん理屈ではありません。

人間にとって本は長い間、知識そのものの物理的な姿でした。
本棚に並んでいることで知識が存在しているように感じます。

だから、その本を機械が裁断して読み込み、紙だけを捨てていく光景には、どこか禁忌を犯しているような印象があります。
しかし、本当に守るべきものが知識なのだとしたら、その感覚だけを理由にデジタル化を否定するのも違う気がします。

紙の本はいつかなくなります。
データは未来において紙よりかは残る可能性が高いにせよ、永遠ではありません。

ならば重要なのは、媒体そのものに固執することより、その時代に可能な方法で情報を次へ渡すことなのだと思います。

AI企業が古書を大量に裁断している光景は、文化の破壊なのかもしれません。

同時に、何十年後かには、「あの時代にAI企業が大量にスキャンしてくれていたから、この本は残っている」と言われている可能性があるのではないでしょうか。
そのどちらになるかは、「本を裁断して捨てたか」ではなく、その本から取り出したものを、その後どう扱うかで決まるように思います。

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